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震災を越えて

~子どもたちの未来のために(CYR活動報告会より)~


本年のCYRの活動報告会に、被災地支援活動で多大なご協力をいただいている小林 純子さんが、仙台よりお越しくださいました。下記に小林さんのプロフィールと報告会での発表の全文をご紹介します。たいへんなバイタリティで、長年子育て問題に取り組んでいる小林さんが語った、被災だけにとどまらない子どもたちの現状です。ぜひ、ご一読ください!


小林純子氏 プロフィール
1979年 長女2歳の時、「子ども劇場」に参加
1998年 MIYAGI子どもネットワーク設立
2001年 チャイルドラインみやぎ 設立
2005年 MIYAGI子どもネットワークで児童館 指定管理開始
2011年3月 東日本大震災発生
    4月 災害子ども支援ネットワークみやぎ 設立


◆子育て問題について

 出産後、近くに住んでいた母に頼って育児をしていた私は、夫が山形に転勤になり、近所に知った人もなく、ひとりで子育てをすることになりました。その時に出会ったのが「子ども劇場」です。先輩のお母さんや、ボランティアの学生さんなど、たくさんの人に助けられて子育てをしました。
 7年間山形で暮らし、また仙台へ戻り「子ども劇場」の活動を続けていました。子どもが大きくなって、自分が先輩お母さんの立場になった時、「子育ては辛い」という若いお母さんたちの声に気づきました。また上演中、赤ちゃんが泣いてもなかなかホールから出て行っていただけないようなお母さんたちの言動がちょっと気になったりして、どういうふうに子育てをしているのかな、ということを皆で話し合うようになりました。その中で、子どもの虐待がクローズアップされてきたのです。1998年に、子育てについて一緒に考えていく仲間と「MIYAGI子どもネットワーク」という団体を立ちあげて、若いお母さんたちのお子さんの一時預かりや、子どもの虐待問題についての活動をするようになりました。そこで出会ったのが「チャイルドライン」です。これは、イギリスで虐待防止のためにつくられたホットラインで、日本では牟田悌三さんらが提唱され、全国に広がりました。「チャイルドライン」は子どもたちから直接、お電話で話を聞くというシステムで、研修を受けたボランティアさんたちが受付をしています。宮城県に「チャイルドライン」をつくる活動を始め、2001年に「チャイルドラインみやぎ」を設立しました。

災害子ども支援ネットワークみやぎの設立

だんだん世の中の流れが変わり、公的な施設を民間でも運営できるという指定管理者制度が出来ました。「MIYAGI子どもネットワーク」は、初めはお母さんたちでつくったささやかな会でしたが、制度を活かして児童館を運営してみようと決意しました。そうしましたら、コンペで1位となり、「それまでのノウハウを活かしてやってください」と任せられて、4つの児童館を運営するという経験をしました。そして、そろそろ自分も後輩に道を譲ってチャイルドライン一本でやっていこうかなと思っていた時に、東日本大震災が発生したのです。その後、今までの人脈や経験を活かして皆さんに呼びかけて設立したというのが、「災害子ども支援ネットワークみやぎ」誕生の経緯です。

◆子どもたちの悩み

 チャイルドラインの電話から、子どもたちの様子を10年間見てきましたが、とにかく人間関係にすごく気を遣っているようです。いじめや親の過保護とか過干渉、逆に放任によってすごく寂しい子どもがいます。それから、多くの子どもたちが、分かってもらえない、聞いてもらえないっていう気持ちを抱えています。あとは、思春期の男の子の性の問題ですね。女の子は初潮指導などから、自分の身体のことを知ったりしますが、男の子はそういう機会になかなか恵まれないので、お電話の中でも非常に多い件数になります。また、発達障害のお子さんもご自身でかけてくるのですが、実生活で疎外感を感じることが多いので、繰り返し繰り返しかけてきます。それから、一人親家庭の増加に伴って、経済的困難などを訴えるお子さんも増えています。今朝も子どもの貧困についてテレビで報じられていましたが、「6人に1人が貧困」という状態になっているとのこと、「この豊かな日本で!? 」と思うのですが、そうした現状を是非、多くの人に理解して頂きたいと思います。
 それから、ネットを使いこなすようになって、子どもたちが被害に巻き込まれていることもあります。虐待は1998年くらいから、全国的に右肩上りになっていて、その影響が非常に子どもたちに出てきている状況です。小さいながらも自傷行為を繰り返したり、精神疾患や鬱になったりしている子どもがいます。寂しい子どもたちはどちらかとういうと性交渉が早いので、妊娠や性感染症の問題も起きています。
 報道されている統計では、自殺が毎日1.7人、虐待死が3日に1人、という子どもたちの状況。これは震災前から実はあったのですが、なかなか一般の人には知られていなかったようです。 。

◆子どもたちを支えたい

 10年間の「チャイルドラインみやぎ」での経験から、親の問題はすぐ子どもに反映して、それが負のサイクルになっている、ことがわかりました。その連鎖を断ち切るため、弁護士さんたちと研究会をつくったり、貧困ネットワークに参加したりして、「パーソナルサポート」ということばに出会いました。これは、「一人ひとりの子どもに寄り添って、ずっと支えていく」ということです。家庭の中で常識的なことを教わっていなかいため生活力が弱く、なかなか社会に受け入れられず、生活を立てることができない...。このような子どもたちに寄り添って(支えて)いくという仕組みができないかと思い、子育て関係、弁護士、ホームレス支援の団体などが連携し、2011年3月3日に「一般社団法人パーソナルサポートセンター」を仙台でつくりました。ところがその直後、震災が起こってしまいました。でも、こういう仕組みができていたので仙台市は、パーソナルサポートセンターに「仮設住宅の見守り」という大きな仕事を委託として出すことができました。そこでチャイルドラインのメンバーは、子ども問題の研修ということで、支援員たちの研修を実施しました。少しでも、私たちがやってきたことが役に立ったのかなと思っています。

◆どこまでが被災者なのか...

 自宅ではたくさんの食器が壊れ、大きな家具が4~50センチも移動し、停電が3日、断水が1週間~2週間、ガスが1カ月出なかったなかで過ごしました。でも、沿岸部の被災状況を見たら、とても私が被災者だとは言えない状況でした。どこまでが被災者なのか、というのは非常に難しくて、そこのところが問題が引きずられている一つの要因だと思います。(後述の助成金に係る問題など)

 

◆子どものための場所

 震災直後、あるNGOと一緒に「子どもの広場」づくりのお手伝いをしました。3月26日に入った避難所で見た子どもたちは、食べ物がない、衣類がない、眠れない、少しの音でも驚くなどの状況でした。ある5年生の男の子は親と離れられない状態でしたが、子どもの広場で2時間過ごすうちに少しずつ親から離れることができて、最後は皆で一緒にドッヂボールをしました。
 避難所の子どもたちは、おとなしくしていることを要求され、「子どもらしくいる」ことができませんでした。けれど、一つ(子どものため)の場所をつくってあげると、子どもたちどうしで関わりを持って、平常の気持にだんだん戻っていくという様子を目にしました。それだけ非常時の子どもたちにとって「遊び」や「安心できる空間」は、すごく大事なのだと改めて考えさせられました。

◆CYRとの出会い

 震災発生から3日後に電気が復旧。インターネットも復旧して、怒涛のように情報が入ってきました。物資や支援の当合わせが殺到し、2カ月くらい毎日対応に追われました。疲れを感じていたその頃、CYRと出会いました。初めは、「どんな団体なのだろう?」と思っていましたが、保育セットを見て気持を決めました。セットの手作り感から、今までの私の子育て支援をしてきた気持と共通点があったと思ったからです。そこからお付き合いが始まり、保育セットや車の提供、託児室の運営の支援を受けました。当時、交通が遮断されていた宮城県内での移動に、車は本当に助かりました。
 今思うと、これだけ長く深くお付き合いできた理由には、子ども支援や親支援に関する視点が一致していたということと、丁寧に接してもらえたことがあったと思います。たくさんのNGOが入ってきましたが、自分たちの事業の目的が優先され、それに合った支援先を探しているというような団体もありました。CYRはすごくゆっくり関わってくれて、何度も来てくれました。一緒に行動できたこと、同じ体験をしたことで理解が深まりました。現地では、状況が刻々と変わっていきます。今必要なことが直後には不要になることがあります。申し訳ない...、という思いもしました。そうした私たちの状況を「理解して」「聴いて」「待つ」という姿勢がCYRにはあったので、安心してお付き合いすることができました。
 ボランティアさんたちが作ってくださったお人形や長縄跳びを、今でも子どもたちは喜んで使っています。仙台市の大きな仮設住宅に就労センターが出来たので、子どもたちが大人のじゃまをしないで遊べるように、保育セットを置きました。市内には、「ピッコロルーム」という託児室(キッズスペース)も開設し、保育セットはそこでも使いました。

◆託児室の必要性

 震災発生当時仙台市は、待機児童数が全国ワースト2で、他所から移転してくる人がすぐに入園できる状態ではありませんでした。しかし、震災で傷ついた沿岸部から仕事を求めるなどの目的で多くの人が転入してくることを予想して、2011年、この託児室を開設しました。一番大変だったのは、心を病んでいるお母さんたちの支援でした。そうした事情から、無料で子どもたちを預かってあげられたのは、CYRの支援があったからと思います。お母さんたちは、子どもを預けることで、自分の心を癒す時間をつくっていました。もともとやっていたひとり親の支援対象のお母さんたちはパートが多く、震災後早くに切られたため、支援をしたのです。
(※ 宮城県では、両親を亡くした子どもが135人、片親を亡くした子どもが902人もいます。)震災前からできていたネットワークの成果で、たくさんの団体に関わっていただき、ピッコロルームの運営を分担しています。
 つづけて2012年、託児室ポルカを開くことができました。ポルカには、いろんな方が相談に来ます。特徴としては、DV被害者がかなり多いことです。話を聞いたりケアをしたり、弁護士を紹介しています。ポルカが2階に入っている建物の1階には、「災害子ども支援センター」を開設して、情報を置いたりショップを開設しています。ここで仕事をしてもらいながら2階で子どもを預ける、ということができるようになりました。

◆物資支援の必要性

 災害子ども支援センターで行っている物資の支援ですが、「なぜ、まだ、物資支援が必要なのか?」という声もあるかと思います。実は背景には、次のような事情があるのです。
 仙台市には、民間の住宅を借りあげて仮設住宅として家賃補助をしている「みなし仮設」が多くあります。プレハブのまとまった仮設住宅には、支援物資が届けられました。しかしみなし仮設では個人情報保護のため、どこにどういう方が住んでいるのかわかりにくく、支援することが難しいのです。センターをつくることで、物資を必要とする当事者におとずれてもらうことができるようになりました。また、若い方たちは、ローンを組んで自立するために支出を抑えようとしているので、物資の支援はまだ必要な状況なのです。

◆地元の力を生かした事業を

 被災から2年経ち、まだ困難な状況は続いていますが、そろそろ撤退するNGOやボランティア団体が増えてきました。すると、「今まで実施してきた事業をどうしよう」「継続するためのお金がない...」といったことが問題になります。このような状況を早くから見越して、宮城県に団体の運営費を支援する助成制度をつくってもらいました。しかし、上限の100万円である程度のことはできますが、被災した方を雇用して運営するには不十分です。支援側が撤退すると事業は終わり、ということが多くなりました。
 このような状況でも支援できることはあります。保育セットのように、「物」が残っていれば、誰かがもう一回始めることができます。ピッコロとポルカの託児室では2012年3月、被災した人たちを募集して、一時預かりのトレーニングをして現在働いてもらっています。頑張る人で月6万円くらいの収入となっています。やる気が出てきて生きがいにもなっています。こうした支援を続けてきてよかった、と思っています。イベントなども開催して、子どもと親を一緒にサポートしています。ベトナムからいらしているお母さんはことばの問題もあり、仮設内で他の人となかなか交わることができなかったのですが、子どもたちの交流を通してお母さんたちとお話ができるようになりました。

◆今後の活動

 これからも頑張っていこうと思います。私たちが仙台から被災地に行く時には、私たちが支援者ですが、東京のみなさんから見ると私たちすべてが被災地で被災者という構図です。そこをうまくつないでいくことが大事ではないかと思っています。行政が支援しきれなかった現地の保育園や幼稚園をCYRが支援しているケースもあります。直接ではなくても、紹介というカタチで支援がつながることもあります。そこの保育士さんたちがそれぞれの道を選んで頑張って歩き出していることを、ぜひお伝えしたいです。
 ピッコロルームでは家賃が厳しくなっています。ポルカを残してピッコロを締めようか...。悩みもありますがなんとかクリアしたいと思っています。
 自分たちだけでいると、気持がくじけてしまいます。でも、誰かが応援してくれていると頑張れる、ということがあります。距離的には遠いところですが、ぜひこれからも、心で繋がって応援していただければと思います。

◆質疑応答

Q: お金の集まりは減っていますか?
A: はっきり言うと、そうです。何かのきっかけで思い出していただけるということがあるので、発信の方法を考えないと...と思っています。でも、災害は次々起きるので、いつまでも...という訳にはいかないかもしれません。

Q: お金はまだまだ必要と聞きましたが、どういうところで資金不足を感じているのですか?
A: たとえば助成金。宮城県の人はみな被災者です。でも、宮城県の助成金は、仮設やみなし仮設に住んでいる人が対象という制限がついています。でも、ピッコロを利用する人たちの多くは、うつやDVに悩んでいる人です。家が壊れていない利用者が多いと、助成金を受けにくいのです。しかし託児室は町中にあるため、家賃が高いので、そのための資金をコンスタントに集めていくことには不安を感じています。

Q: CYRのスピード感(=ゆっくり感)について、もっとスピードを上げてほしいということはありませんか?
A: ありませんでした。スピードを要求する団体もあります。「ここまでできなかったら、支援できません」などと指示される場合も。でも、現場はそこまで頑張れないときもあるので、(支援を受けることを)諦めてしまうことがありました。
 また、外国で支援をしている団体がたくさん入ってきたことがありました(県庁でも、何だかわからないことを言っているとこぼしていました)が、その団体の入り方が、難民キャンプに入るような勢いでしたので、少し違和感を覚えることがありました。例えば、避難所の中の移動でも、「親が必ず送って来ること」と言うのです。避難所の親は、家が壊れていなければ、昼間は家の片付けをしたいなどいろいろあります。それを、難民キャンプの危険度とは違うのに、「送ってきなさい」というルールを曲げない。他にも、自分たちが持ってきたもの以外は教材として使わないなど。東北の人は、物をあげることで気持を表すことがあります。「あげられること」は幸せなことなのです。それなのに、「被災者からもらってはいけない」という堅苦しいルールが定められていて、ちょっとした気持ちのやりとりすらできないことがありました。一線で活躍している人にとっては、東北の人権意識が遅れているとご覧になることもあるかもしれませんが、そこを指導的な態度で臨まれると、「東北には東北の文化がある。発展途上国を支援するときに私たちは、そうした(その土地の文化を尊重できていないなどの)間違いを犯しているのではないか。」などと気になることがあったので、そのような時は今後のためにも、NGOに正直に話すようにしました。 今回の私たちの被災の経験を、NGOの方たちの今後の支援のあり方にも役立てていただければと思います。

2013年7月22日


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